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2017年4月

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ブログ

2017年4月17日 (月)

とにかく7月

このブログが始まった9年前の7月14日は巴里祭の日だ。

丁度ツール・ド・フランスの真っ最中では、と記憶している。

今では原稿数は1000を超えていることだろう。止めると決めたら、気が楽になった。

しかし、これを書く万年筆はどうなるのだろうか。

これからは手紙を書いて楽しむかな。ついでに挿し絵を付けて。

しかし、小さい絵というのは描いたことがない。小さくても四六版半切(788mm×545mm)だ。

今年の7月14日の後は、どのような生活が待っているか、楽しみでしょうがない。

まず原稿用紙とペンを持ち歩くことはない。常にデッサンを描き、文章を考えることもない、

物に追われない生活。

3月頃から1週に1ブログくらいにしている。

週に1ブログだと、追われるということもないかも。

しかし僕の原稿は講談社様の「Style」に入稿していた頃から、1年分は先に書いていた。

このブログも半年後を予想して書いていた。

この文章がブログとして載る頃には、最後の原稿を書き終えて、一杯やっていることだろう。

2017年4月10日 (月)

もしも もしも もしも

もしブログを止めたら、この万年筆はどうなるのだろう。

使用せずに放置されるのであろうか。

もし煙草を止めたら、このイタリー製の灰皿は、ダンヒルのライターは、

無論パイプ達、何箱もある葉巻達。

もし年を取って乗れなくなったバイク(自転車)達、人にあげてしまうのであろうか。

絵を描かなくなったら、このパレットや筆達はどうするのであろうか?

いやいや、この洋服達、仕事をしなくなっても、スーツを着てキャフェに行くのだろうか。

洋服なんて、1日3回着替えてもまだ足りない。

靴はどうする。最後はスニーカー等履いて、革底の靴はもう履かないのであろうか。

もしも、もしも、もしも、次シーズンの為に取り寄せている布はどうするのか。

今、そんなことは決めることではない。

自分は最後に病院に行く為の服を誂えなくてはならない。

どのような服で病院に行くのだろうか。

婦長さんへの花束を抱え、ゆっくりと救急車から降り、階段を登る。

その時風が吹いて、軽いビキューナーのコートが風に靡(なび)く。

最後もやはり美しくいたい。

2017年4月 3日 (月)

それから先のことは

このブログは何時からスタートしたのだろう。

あのテルースブランドを紹介する為。

その為に文章を書き、デッサンを加え絵も描き、色々な続きの物語・エッセイを書き、9年を迎えた。

デッサンも使い切り、残り少なくなり、絵も残数が少なくなった。

ある人から「画集を作れば」と言われその気になったが、サンプルが出来上がった時に断念した。

理由は何にか昔の物のように感じたからだ。

ここ1年、棚の隅に置いてある中途半端な画集は、きっと出来上ることなくずっとそのままでいるのだろう。

今年の7月でこのブログを終了し、何か新しい表現が出来ないものかと考えている。

1年近くも、絵を描くこともデッサンすることも休んでいる。

文章を書いても、昔のことを繰り返している。

新しい何かとは何だろう。

このようにブログで「ぶつぶつ」言っていても、新しい物は何も出て来ない。

じっと静かにそれから先のことは考えず、成り行きに任せて生きて行くのも良いかもしれない。

昨年コケた時に痛めた手が今でも治らず、原稿1つ書くのがやっとだ。

デッサンは最近鉛筆を2Bから3Bに変え、筆圧をあまり加えないで書くようにした。

たぶん筋力も落ちてしまったのでろう。

さて、それから先の事は考えずにいよう。

きっと何かを見て「ハッ」として思いつくかも。

2017年3月27日 (月)

変化する日々

しばらく俗世間と離れていて街に出ると、変化に驚く。

何と街で歯ブラシをして居る人を見かけた。

特にゴシゴシしているわけではないが、しばらくよく見ていると

歯ブラシを口から外し・・・何と白い煙を口から吐いているではないですか。

これは新しいパイプかと思い、その方に聞いてみると、新型タバコらしい。

名称は聞いたけど忘れてしまった。果たして旨いのだろうか?

まあ街に出ると単行本のような携帯を眺め、イヤホーンを両耳に付けて歩いている人がいるが

危なくはないのだろうか?

人の心配等しないで自分は?というと、携帯電話は家に置き去りで留守番している。

これが本当の留守番電話だ。

何度も書くけど、家にはPCもラジオもCDもテレビも何もない。

情報はどこからも取れないし、新聞も取っていない。

だから街に出ると驚くのだ。

その自分の驚きを人に聞いて見て、時代の流れを感じ取っているのだ。

だから僕の頭の中は人から聞いて教わったことしか入っていない。

つまり自分というのは何もない。

本当にこれで良いのだろうか・・・。

これから数年経ち、時代から取り残され、機械を触ることもせず、ただ絵を描き、

バイク(自転車)に乗って、そして大昔の戦闘機乗りが被っている革の帽子と革縁のゴーグルを掛け

マニュアルのオープンエアーの車を乗り続けるのだろうか。

ナビはもう十数年経って機種が無いので取り換えることも出来ず、本当に道無き道を走っている。

だから道を知っている所に行く時は、ナビは消されて黒い画面になっている。

もちろん相変わらずラジオもかけていない。

エンジン音が良い友達だ。

2017年3月20日 (月)

背広

「僕のスタンダード」で、服をハンガーに着せても、スーツは別として

その組み合せを着たことが無い。

スーツと言うのは背広(セビロ)とも言う。

セビロと言う言葉は、ロンドンの仕立屋街の「セビルロー」から来ていると誰かが言っていたが本当だろうか。

小学館から出ている服部晋氏の「洋服の話」を見てみると、その語源は「セビルロー」からでもあるという。

服部氏の言うことも正しい気がする。

つまり、このようなことだ。

宮内庁でモーニングが通常服であり、昔の役人は常にモーニングであった。

モーニングの背巾の狭い布地を何枚も繋ぎ合せて作り、背広は左右各1枚の布で出来ている。

故、背の幅が広い。そこから生まれたのが「背広」だと言う。

このように、自分の頭の中に「何故背広だろう、不思議な名称だな」と思って、人に聞くと

「セビルロー」からきた言葉と言われるし・・・。

どうもアメリカン波止場がメリケン波止場と「ア」の発音が聞き取れなくてメリケン・・・。

これはナットクであるが、背広(せびろ)も不思議な言葉だ。

2017年3月13日 (月)

近くに旨いレストランが無くなる時

レストランは近くに「和、洋、中」と欲しい。

「洋」の中には仏国料理と伊丹利料理が必要であり、昨年伊丹利料理が無くなった。

これはショックであった。もっと前は仏国料理が無くなり・・・。

もうどうしてよいか分からない。

あの、伊丹利料理のラビヨリ、ニョッキ、平打ち手打ちパスタ、大と中、1.8mm太麺パスタ、

ペンネアラビアータ、スパゲッティー ア ラ グー ビスマルク、

スパゲッティーアールブーロ、ボンゴレビアンコ、バジーレの冷製パスタ・・・。

料理に春夏秋冬があり、冷製パスタは夏の物だった。バジリコ、ポモドーロ、モッツァレラ。

それを食べる為に、麻のスーツ・麻のシャツを作ったのに・・・。

そのレストランが無くなってから他の店を探したのだが、どうも自分に合った所がない。

遠くに行けばあるのだろうが、条件が家の近くとなると難しい。むろん値段にもよる。

その無くなったレストランは10年近く通った・・・。

どこかに無いだろうか。近くにあると便利だよね・・・。

便利性から言うとコンビニエンスストアーだが、

1人コンビニエンスで食事を買い、1人杯を傾け食事をするほど空しいものはない。

ちょっと着替えて、ちょっとそこまで・・・。

2017年1月25日 (水)

最近の心配

椅子は人が座る物であり、荷物を置くところではない。

人と人が詰めて座ると、肌の触れ合いがあり会話が始まる。

しかし、日本は安全な国だ。荷物を隣りの席に置き離れてしまう人も居る。

レストランではサーヴィスのように籠を出して荷物を入れさせる。

その人は安心しきってトイレにまで行ってしまう。

僕は絶対にその籠の中にバッグは入れないし、隣りの席にも荷物は置かない。

だんだんオリンピックが近づき、海外から多くの人が日本を訪れるようになる。

そうするとその人々に混り世界的な泥棒集団がやって来る。

もう隣の席に置いた荷物や籠の中に入れたバッグ等、ターゲットになるのは当り前。

ミラノ市内で、「アイスクリームが背中に付いている」と上着を脱がされ

そして財布を抜き取られ、その財布は仲間から仲間へ、ラグビーボールのようにパスされ、

あっという間に遠くへ行ってしまう。

街を歩いていると、新聞を広げ持ったジプシーの女や子供に取り囲まれ、

新聞に隠れた手があっという間に上着のポケットから財布を抜いていく。

実は僕もこの手にあったのだが、財布はボタン付のお尻のポケットに入れる習慣である。

故、盗まれたのは手帳であったが・・・その手帳も高い物であった。

キャフェで椅子の背にバッグを掛けてはならない。

地下鉄は要注意。僕は昔は地下鉄も1等車を選んで乗った。

巴里だとサンジェルマンのあるリブゴーシュより、

シャンゼリゼのあるリブデウロアの方が危なかった。

そして、ミラノのファッション展示会場の廻りにも。

日本もオリンピックが近づくと、だんだん危なくなるのかな?

さて、最初の文面、椅子は人が座る物、荷物を置く所ではない。

「安全な国だ」この油断が世界に通用するのであろうか?

Photo_2

2017年1月18日 (水)

人は癖があるもの

人はそれぞれ癖というものがある。

しかし、僕の癖は何だろうと思うと、意外と分からないものである。

癖というものは、自分が分からない内にしてしまう動作や

話す言葉の節節に知らずに発している、言葉とは言えない唸りのような物。

しかし、これを読んでる方、自分の癖がお分かりですか?

文頭に書いたが、自分の癖が分からない。

せっかちだとかルーズだとか、言葉がきついとか、あまり思い浮かばない。

字の癖はあるけど、あまり気にしたことはない。

現在では機械が打つから、自分の字の癖等分からない。

シャーロックホームズの時代はタイプライターの打つ力の入れ方で推理をしていたが、

現代では彼は何で推理するのだろうか。

例えばこの前、病院の待ち合い室で貧乏揺りをしている人を見掛けたが、

その人は何も気が付かずそれをやっている。

つまり、自分が気が付かず実施していることを人が気が付き、注意をしてくれたら良いのだが、

何も言われなかったらだんだん自然の習慣となり、常にするようになる。

やはり癖は注意してもらって直すということなのだろう。

よく、祖母や母に注意を受けた気がする。

癖というのは、人に言われて直そうと努力するが、人生の癖取りが一番大変なのかなと思う。

人生の癖取りねえ。

Photo

2017年1月13日 (金)

ゴールド免許

車の免許証がゴールドになった。

毎日のように車を運転しているのに、3年無事故無違反で過ぎ、有効期限は5年間になった。

何もなく気にせず5年が過ぎ、優良という免許書換通知が来た。

この時初めてゴールドかと思った。

最近では、タクシーに乗るたび運転手さんに安全に乗る為の教授を受けたりもする。

その時その話の中では、多くの人が車間距離と言う。

そして左右折の際は必ず横断歩道の前で止まる。

僕は最近は後部席のガラス窓も体を廻して見るようにした。

右折の矢印が黄になり、止まらなくてはいけない時

「ちょっと待てば、次は僕が一番だ」と自分に言い聞かせる。そして信号の黄色で止まる。

その時は後ろの車もバックミラーで注意しなくてはいけない。

「もし」「かもしれない」「ひょっとすると」人が出て来ると思い

トラックの側を通る時は、トラックの底を見て、人の足が見えないかと注意を払う。

3車線の高速道路では追い越し車線は走らず、中央の走行車線を走る。

遅い車を抜く時だけ、追い越し車線を使用する。

路上駐停車は絶対にせず、どのような時でもパーキングを探す。

ハンドルは十時十分の位置で握り、ギアを変速する時だけ片手をギアシフトに伸ばす。

両手でハンドルを握るのであるから、煙草・携帯電話などもってのほか、物を食べるということも絶対にしない。

まず、車に失礼である。

そして止まる時はシフトダウンして減速し、最後にブレーキを踏み、車を止めるのである。

それにしても、ゴールド免許をもらってから毎日がプレッシャーである。

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2017年1月 6日 (金)

身支度

僕の身支度は大変だ。

連載の「僕のスタンダード」を見てくれたらわかると思うけど、少なからず拘りがある。

絵を描きに外に行く時、アトリエで描く時、それぞれに違う。

絵を外に描きに行く時は、正に山に登るような様である。つまり、何があるか分からないからだ。

動物との遭遇もあるし、茨の刺もある。

絶対長袖長ズボン、決して軽装では行かない。

バイク(自転車)に乗る時も、僕は極力夏でも手袋は指付きである。

落車しても絵描きの手を守りたいからだ。

過去何度落車したか分からないし、これからいつ落車をするか分からないからである。

そしてヘルメット着用、まさに交通規則は50ccのオートバイに準ずるのだ。

車に乗る時もしかり、車に乗る前にライトの点滅等の点検、シート位置の確認、

そしてエンジンを掛ける前にシート位置、ミラーの再チェック、そしてシートベルトを着け、

ドライバーズ手袋をしっかりと嵌める。

ハンドルは10時10分の位置で握り、クラッチを踏み込んだらようやくエンジンのスターターボタンを押すのである。

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